2016年09月30日

ブックレビュー 「サイボーグ昆虫、フェロモンを追う」 神崎亮平著

サイボーグ昆虫、フェロモンを追う
サイボーグ昆虫である。昆虫サイボーグではない。どっちが先かで明確に意味が変わるわけぢゃないんだが,「昆虫サイボーグ」っていうとなんだか仮面ライダーみたいだからな(知らないヒトがいるといけないので一応付記しておくと最初の仮面ライダー,本郷猛は「バッタ男」である)。

著者・神崎先生とその一味(失礼)がサイボーグ昆虫を作ったのは,もちろん世界を征服するため…ではない。そもそも神崎先生は昆虫学者ではない。子どもの頃はムシが怖くて触れなかったそうで,つまりガキのころムネアカオオアリだのジグモだのギンヤンマだのを追いかけて暮らしてたオレやあなた(あなたです,解りますね?)のお仲間ではない。残念ながら。

先生の研究分野は生き物の脳の仕組み,それも出来ればニンゲンの脳の仕組みを明らかにしたいという野望を…どうも表現が世界征服方面に傾いて行くな。とにかくそれを解明するため,ニンゲンよりもずっと少ないニューロンで構成されている昆虫の脳を調べるため,カイコ蛾をサイボーグにしちゃうんである。

いや面白い面白い。

まず最初,カイコ蛾のオス(羽を動かす筋肉が退化してほとんど飛べない)がメスを追って移動する仕組みを説明。つまり彼の脳にはメスが空中に放ったフェロモンを感知しその情報をもとに足を動かして直進歩行,ジグザグターンを繰り返すことができる仕組みというか経路があるわけだ(キノコ体とか前運動中枢とかの専門用語は端折ってます)。

で,このオスを足を使って操縦できる二輪走行のロボットに固定する。するとカイコ蛾はこのロボットを器用に操り,より速く(?)メスのもとにたどり着けるようになる。そこでだ,先生達はイジワルにもロボットに細工をする。左右の車輪の回転速度を変えて,片方が’もう片方の4倍で回るようにしちゃうのである。当然,今までと同じ操縦をしてるとロボットは同じところでグルグル回るだけ。

さぁカイコ蛾のオスはこの難題を乗り越えれたか?

それは読んでのお楽しみ。この実験を経て研究の方向性に自信を持った一味のヒトビトは,遂にカイコ蛾に外科手術を施し,脳からの電気信号を差動二輪のロボットの駆動系に直結しちゃうのである。かくして常人…ぢゃない常蛾の数十倍の移動能力を持ったサイボーグ昆虫の誕生だ! 残酷? まぁ残酷かも知れぬが科学の発展に犠牲はつきものなのである。わくわく。

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posted by hiro fujimoto at 08:31| Comment(0) |

2016年09月22日

ブックレビュー 「面白くて眠れなくなる数学」 桜井進著

面白くて眠れなくなる数学
オレも含めて世の中の数学素人の皆さんに数学の面白さを軽い読み物風のタッチで紹介しようという本。個人的にはとっても面白く読んだのだが,上に「数学素人」と敢えて聞いたコトもないコトバをでっちあげたように,数学に関してどのくらいの素養があるヒト(ないヒト?)を対象にしているのかが,あんまり一貫してるとは言えず,最初の方を面白い面白いと読んでた中学生が途中で投げ出しやしないかと心配になる。

参考のためにオレの数学素人レベルを申し上げると,「中学の数学まではまぁ履修済みと言っていいが高校で習った微分・積分などの解析系になるとかなり怪しく『α』や『β』はちゃんと書けるが『ζ(ゼータ)』や『λ(ラムダ)』になるとどうしてもひらがなの「て」あるいは「ち」や漢字の「入」みたいになってしまう」くらいである。

そそ,実はこの「β」が書けない学生がとっても多い(漢字のこざと偏になっちゃう)という話からこの本は始まるのだ。で,これら数式に現れるギリシャ文字が上手に書けない学生はどんどん数学がキライになる,と(因果が逆だろが,という話もあるが)。そこから日本では数式の読み方・発音のしかたが教師によってマチマチで,これも数学を学ぶヒト達を混乱させ,数学嫌いを増やしている一因だと続く。

この辺,オレも膝を打ちましたね。この悪しき伝統はコンピュータ教育にも及んでて,日本人はプログラムのソースコードを口頭で伝えるのが苦手である。早い話,文字のままプログラムを読めない。インターネットのおかげで「@(アットマーク)」を読めないヒトは減ったが「~(チルダ,チルド)」を「にょろ」,「^(ハット)」を「ヤマ」など,自分(とその周囲)にしか解らない読み方をするヒトが多すぎ…。


おっとハナシが私憤方面に大きくズレてしまった。軌道修正。

そんな話からクレジットカードの正当性チェックの仕組みや,おつりを簡単に(素早く)計算する便利な方法,あるいは iPodに代表されるデジタル音楽プレイヤーはどうやって音を数字に変換してるかみたいな,日常生活で数学が活躍してるという話題が続く。この辺までは中学生でも楽しく読める(と思う)。

が,円周率から無理数に話題が移り,数論やら群論やらを経て,ついにタワー数使って無限を考えようってあたりまで高いビルもひとっ飛びしちゃうあたりになると,これらの話に予備知識がないヒトは出てくる用語イチイチに「ナニコレ」的反応しかできなくなるだろと思うなぁ。

まぁもちろん,万人が数学者になる必要もないんだけど,さ。

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posted by hiro fujimoto at 15:53| Comment(0) |

2016年09月15日

ブックレビュー 「犬の伊勢参り」 仁科邦男著

犬の伊勢参り
2013年は伊勢神宮20年に一度の式年遷宮だというのでニュースなどもかまびすしかった。つか,その20年前の1993年にこんな騒ぎはなかったような気がするんだが。あんときはバブル崩壊直後でみんな意気消沈していたから? 昔だったらそういう時こそ「お蔭参りだええぢゃないかええぢゃないか」の好機だったんだろうけどな。

でまぁ,それはさておきこの本である。題名通り,犬が伊勢参りをしたのである,江戸時代には。

そんなばかなぁって? もちろん江戸時代にも疑う者はいた。大田南畝は「半日閑話」に「牛馬犬まで参宮せしとの虚説区々なり」すなわちマユツバであると書いた。しかしそういう噂があったことは事実であり,火のないところに煙は立たないのは徳川の世も今も変わらない。

上のごとく南畝が記した明和八年(1771年)。この年も式年遷宮が行われ山城・宇治を中心にお蔭参りが流行した。その4月16日午の刻,赤と白まだらの毛色の雄犬が一匹,施しの握り飯を貰って食い,真一文字に外宮へ。北御門口から入って手水場で水を飲んだのち本宮に来て広場に平伏して拝礼の格好をした。その様子が尋常ではないと観た神官達は他の犬のようにこれを追わず,他の参詣人と同様の御祓を首にくくりつけて放してやった。

ここまでなら犬の格好がたまたま拝礼に見えたのだろ,酔狂な神官もいたものだ,で済んだろう。ところが犬はそのまま一之鳥居口から出て内宮に向かったのである。内宮の神官,御祓を付けた犬を見て子供のいたづらとでも思ったか杖でもって追おうとする。追われて犬,南にまわり五十鈴川を渡って内宮本宮の広前へ。そこで外宮でと同じように拝礼をした。さぁ,さすがにこれは追いだすわけにはいかない。

やがて犬の飼主が判明する。山城国久世郡槙の島,高田善兵衛。伊勢からの帰途,御祓を付けた犬だというので銭を与えた人がいたらしく,紐を通して首に巻き付けた銭が…誰かが重くて大変だろうと両替したのか,銀の小玉にしてくくりつけてあったという。道中それを奪う人もなく,また他の犬もこの犬にはけして吠えかからなかったというから,なるほどお伊勢様のご威光かも知れぬ。知れないぢゃあありませんか?

この話が広まって犬の伊勢参りが流行する。当時の人々にとって「一生に一度の伊勢参り」は夢であった。自分では行けないからせめて犬にその夢を託そうとわずかな路銀を首につけて伊勢に向けて送りだす。そういう犬を見つけると連れて帰って飯を食わせ,翌朝また伊勢の方向の街道筋まで送ってくれる人がいる。犬がどういうつもりかは関係なく,人々の善意と思い込みが次々と「伊勢参りする犬」を産み出していく……。

そもそも神宮にとって犬とはどのような存在であったかや,犬に続いて豚や牛まで伊勢参りをした事情。ひいては江戸期日本の人と犬との関係のありかたまで,犬の伊勢参りをまるで空飛ぶ円盤やネッシー,ツチノコ扱いして読まずにいるのは勿体ないくらい。面白うてやがて悲しき。終章「犬たちの文明開化」にはちょっとした嘆息も禁じえない。

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posted by hiro fujimoto at 08:19| Comment(0) |