2016年12月25日

映画レビュー 「この世界の片隅に」 片淵須直監督

この世界の片隅に
昭和の初め,広島市に生まれた絵を描くのが好きな女性が,ふとしたことで見初められて呉に嫁ぎ,そこで戦争の日々を生きる。それだけと言えばそれだけの映画である。

もちろん空襲はあるし山の向うの広島に原爆は落ちる。でも主人公・すずさんはそうした時代の趨勢になんらかの影響を与えるわけではないし,また逆に,その時代にただただ翻弄されているわけではない。

「戦争をしていても蝉は鳴く」

この言葉に象徴されるように,戦争は,たとえば現代に生きる我々にとっての「円高(円安?)」だの「増税」だのとあまり変わらない位置にある「事情」ではあるがけして生活のすべてではない。そんなことにかかわりなく蝉は鳴き,腹は減り,ヒトは眠り目覚めねばならない。

その,ともすれば忘れられがちな「当たり前のこと」に映画は,綿密かつ執拗な取材に裏打ちされた圧倒的な情報量でリアリティを付与している。幼いすずが未来の夫と初めて出会う戦前の広島。道に迷って入り込んでしまう呉の色街。高台の家から見下ろす軍港・呉の景色。

観賞後すぐは「とにかくあんたも観なさい」と,いう以外なかなか言葉が涌いてこなかった。

この映画を観た時に似た感情を以前に一度味わったことがあるのに気づいたのは結構経ってから。ちょうど20年前の12月,仕事でアムステルダムを訪れ「アンネ・フランクの家」を見学した時だ。

本棚の裏側に隠された狭い階段,居室,小さなベッド,ここに隠れ潜む暮らしはもちろん「戦争の惨禍」ではあるのだが,同時にそこに残されているのは毎日の普通の食事,勉強,家族の団欒や葛藤の残響だった。

「戦争をしていても蝉は鳴く」

難しいな,やっぱり「とにかくあんたも観なさい」としかまとめられないわ。


「この世界の片隅に」公式サイト

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2016年12月23日

映画レビュー 「ミス・シェパードをお手本に」 ニコラス・ハイトナー監督

ミス・シェパードをお手本に
ロンドン北部,ヴィクトリア時代の雰囲気が色濃く残るカムデン・タウン,緩やかなカーブを描く坂道がグロスター・クレセント通りはリベラルな住民が多く住む住宅街だ。1960年代の終わり,その坂を下りきった23番地を購入して移り住んだ劇作家アラン・ベネット(アレックス・ジェニングス)は,この通りにオンボロのヴァンを停め,そこで寝泊まりしている老女ミス・シェパード(マギー・スミス)の存在に気づく。

噂によればもともとは丘の上にある修道院の修道女だったらしいが,それがなぜ路上で暮らすようになったのか詳しいことは誰も知らない。子供のなかには魔女呼ばわりする者もいるが,住民達は概ね彼女を受け入れており,時には親切に食べ物を差し入れたりもする。が,それに対して感謝の言葉はなく悪態をつくばかり。子供が練習する楽器の音を騒音だと言っては別の家の前に移動し,いつしかベネットの家の前に。

それまでも郊外の実家に一人で住む母親の言動などをネタに戯曲を書いてきたベネット。頑固で無礼,それに臭うこの老女のことを作品にしようなどとこれっぽちも思っていなかったし彼女の生活に深入りする気もさらさらなかったのだが,駐車違反に関する法律が変わり,今までのままでは追い立てられることになった彼女にちょっとした親切心から「うちの車寄せに…」と。

「ほんの三ヶ月ほど」のつもりだったこの提案から15年。ミス・シェパードは相変わらず悪態をつき悪臭を振りまき,どこからか新しい三輪自動車まで手に入れて勝手気ままに暮らしているが,寄る年波には勝てず,最近は体調が優れないようだ…。ある日,三ヶ月に一度やってくる社会福祉士の勧めで施設に体験入所することになったシェパード,風呂に入り清潔な服に着替えた彼女の前に現れたのはピアノ…。

冒頭,字幕で出るようにこれ「ほとんど事実」の物語。

1989年に彼女が亡くなったあとで初めてベネットは彼女のことを書き始める。回想録が出版され,それを読んだミス・シェパードの弟から連絡が入り,彼女の人生の前半部分が明らかになった。若き日,名ピアニスト,アルフレッド・コルトーに師事して将来を嘱望されたマーガレット・フェアチャイルドは修道院で音楽を禁じられて精神を病み,停車中のヴァンへ突っ込んできたバイクの若者の死に動顛して逃亡,追われる身となった。

死後に判明したその辺りの事情を織り込んで1999年に完成した戯曲「The Lady In The Van」は,この映画と同じマギー・スミス主演で上演され九ヶ月のロング・ラン。彼女の代表作のひとつとなった。それから15年,今回の映画化に当たっても出演を打診されたマギーは「是非演りたい」と即答したそうな。この大女優の入魂の演技,是非大きなスクリーンで観てくだされ。


「ミス・シェパードをお手本に」公式サイト

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2016年12月03日

映画レビュー 「ハンズ・オブ・ラブ」 ピーター・ソレット監督

Hands Of Love
ニュージャージー州オーシャン・カウンティ。勤続20年の女性刑事ローレル(ジュリアン・ムーア)が恋をした。相手は15歳も年下の自動車整備工ステイシー(エレン・ペイジ)。しかし警部補への昇進を目指す彼女にとって自分がレズビアンであることは秘中の秘,長年コンビを組み文字通り命を預けあっている相棒の刑事デーン(マイケル・シャノン)にも打ち明けていない秘密だった。

1年後,知り合いの目を避けるため郊外にステイシーと二人で住むための家を買ったローレル。壁を塗り犬を飼い,役所に行って施行間も無いドメスティック・パートナーシップ制度にも登録する。新居を訪ねて来て秘密を知ったデーンとの間にちょっとした波紋が生じたもののやがて和解。幸せな生活が続くかに思われた。

ところがある日,健康診断を受けたローレルに末期の肺ガンが発見される。動揺しつつもローレルは,自分の死後もステイシーがこの家に住み続けられるよう,自分の遺族年金を彼女に残そうとする。しかし警官の配偶者であれば受け取れるはずのその申請は,ステイシーが女性であるということを理由に郡政委員によって却下されてしまう。

この決定に激怒したデーンはローレルのために戦おうと同僚に呼びかけるが反応は鈍く,新聞を見て支援に駆けつけたのは同性婚の法制化を目指すゲイの活動家スティーブン(スティーブ・カレル)。ローレルは「私が欲しいのは制度ではなく平等な権利よ」と言うが,味方は彼らだけ。そうする間にもローレルの病状は悪化,彼女に残された時間はあとわずか…。

実話をもとにした本作,2014年ラスベガスでのLGBTのイベントで自らも同性愛者であることをカミングアウトしたエレン・ペイジがプロデューサとしてジュリアン・ムーアの出演を熱望したというが,衰えゆく身体をもてあましながら警官としての誇りとステイシーへの愛を強烈に発散するムーアの演技は実に見事。マリー・サイラスの唄う主題歌もいい。


「ハンズ・オブ・ラブ」公式サイト


posted by hiro fujimoto at 19:51| Comment(0) | 映画