2017年03月26日

映画レビュー 「お嬢さん」 パク・チャヌク監督

お嬢さん
原作であるサラ・ウォーターズの小説「荊(イバラ)の城」を読んだのは2005年のことである。19世紀英国を舞台にしたディケンズの「オリバー・ツイスト」みたいな雰囲気の話だ。当時の日記には「伏線わんさか,刮目の展開,そして衝撃の結末。なんつうか実に『正統派の19世紀風冒険活劇ただし主人公は女性です』という感じ」だ,と書いている。

2年後の2007年,BBCが若手女性監督エイスリング・ウォルシュを起用して前後編(計181分)のテレビドラマに仕立てた。あの長大な原作をこの尺に収めただけでも見事なのに,俳優たちの体当たりの演技,テレビでやれるギリギリであろうエロチシズム表現。さすがはBBCだぜと思わざるを得ない出来だった。

ほんで今回の韓国版である。舞台は日本占領時代1939年の韓国,日中戦争はだらだらと続いているものの市井の暮らしはそれほど逼迫したものではない都市の一角。幼い頃から掏摸として育てられたスッキ(キム・テリ)に,名うての詐欺師(ハ・ジョンウ)から仕事のオファーが来る。

郊外の巨大な屋敷に膨大な蔵書と共に暮らす上月(チョ・ジヌン)という男がいる。日本に帰化し事業を興して成功した男で,引退後はこの屋敷に住んでいる。そこには彼の義理の姪にあたる秀子(キム・ミニ)という令嬢が同居しており,この秀子と結婚する相手は彼女に遺された莫大な信託財産を手に入れることができる。

詐欺師の依頼は,この屋敷に秀子つきのメイドとして潜り込み,伯爵という触れ込みで屋敷を訪れる自分が秀子を誘惑する手伝いをしろ,というもの。屋敷を逃れて日本に行き,結婚の手続きをしたら秀子は気が触れたことにして癲狂院に放り込んでしまえばいい。お前にもたんまり分け前をやる…と。

まぁそういうわけでストーリーはほぼ原作通り。原作読んだヒトは知ってる通りそれだけでも充分面白いわけなんだが,実はこの映画にはもうひとつプラス・アルファがあるんである。

唐突に話を変えるけど皆さん,オレは,ある言語がそのヒトにとってネイティブかどうかは淫語に対する反応で判断できると思ってる。

わかりにくいか。つまりね,オレ等ってたとえば女性器や男性器の俗称(膣とか陰茎とかぢゃない下世話な言葉ね)の日本語を口にするとき,それの外国語とはあきらかに違う感情に襲われるぢゃないの。あれって他の言語を母語とするヒト達もたぶん同じだと思うわけ。

実はこの映画の中で,秀子は上月の指導の元,彼のコレクションである猥本を朗読させられる。それを邸を訪れるコレクター達に聴かせて本を買わせる,という戦略だと説明されるのだが,なんのことはない変態爺である上月の趣味だ。で,このシーンがなんつかすごいのだ。

役の上では日本人だが実際にはコリアンであるキム・ミニはそれらの淫語を眉一つ動かさずに読める。いや一応設定上ではそうではなく,性についてなんの知識も与えられないまま純粋に朗読だけを教えられたからそうできるのかも知れないが,キム・ミニの口から聞こえてくる日本語は我々ネイティブにとっては明らかに「非ネイティブの日本語」である。

とね。たぶん,このシーンで我々が味わうものは,おそらく世界中で日本人だけが感じるものなのだ。韓国人である監督のパク・チャヌクがそこまで計算してこのシーンを撮ったのかどうか定かではないのだが(つうか計算してたら悪魔か,と思わぬでもないが),この映像,音声が自分の内面に励起するものを味わうだけでもこの映画は観に行く価値があるよ。ホント。


「お嬢さん」公式サイト
posted by hiro fujimoto at 10:20| Comment(0) | 映画

2017年03月05日

映画レビュー 「ラ・ラ・ランド」 デミアン・チャゼル監督

ラ・ラ・ランド
なんだかかなり毀誉褒貶あるみたいだが,オレはこの映画ひょっとすると「ミュージカル映画」というものの新しい地平を開くかも知れないと思ったのである。説明が必要か。

ご存知のようにミュージカル映画というものは名作「雨に唄えば」など一部の例外を除き,ブロードウェイなどでミュージカルとして演じられ成功したものを『映画化』したものである。古くは「オズの魔法使い」から「サウンド・オブ・ミュージック」,「マイ・フェア・レディ」。近くは「オペラ座の怪人」,「レ・ミゼラブル」みんなそうだ。

なかには「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」みたいに,まず普通の映画として作られ(1961年),それをもとにしてハワード・アッシュマンとアラン・メンケンが1982年にミュージカルに仕立てて上演。これが当たったので1986年に「ミュージカル映画」としてリメークされたなんてのも。ついでに言うと1961年の映画には若い頃のジャック・ニコルソンが出てる。面白いよ。

で,元が舞台のものはもちろん,最初から映画であり映画界の話である「雨に唄えば」でさえ(未見のヒトのためにちょっとだけ明かすとこれは「ミュージカル映画を作る」というミュージカル映画なのね),その出自である「舞台としてのミュージカル」の頚木から自由でなかった,と思う。

もちろん「映画なんだから」と頑張った作品もあった。「マイ・フェア・レディ」の競馬場とか「オペラ座の怪人」の墓地とか。舞台の制約を離れ映画ならではの空間的広がりを演出しようという試みは,あった。けど,オレの記憶ではたしか,そこでは芝居は行われても歌と踊りは始まらなかった,と思うのだ。

この映画は違う。最初から「ミュージカルではなくミュージカル映画」として企画され,脚本が練られ,絵コンテが起こされ(もちろんコンピュータ・グラフィックスを駆使しての)撮影が行われているため,空間に,そして時間にも制約がないのだ。

冒頭のハイウェイでのモブ・ダンスで「ひょっとしてそういう映画なのか?」と思い,続くパーティのシーン(ダンサーが次々とプールに飛び込む。しかも水中にカメラが)で「たぶんそうだ」と。そして主役の男女がこともあろうにミュージカル映画のなかでミュージカルでもない映画(「理由なき反攻」)を観に行ってしまうに及んで確信に変わった。

オハナシは別に目新しくない男女の出会いと別れなのでここでアラスジを追う必要もあるまい。そのオハナシが古くさいとか,ダンスの出来がどうだとか,主人公の音楽のセンスが云々とか,そういうのは瑣末なことだ。ひょっとしたらデミアン・チャゼルのこれは「ミュージカル映画の再発明」なのかも知れないんだから。

で,これにブロードウェイはどう逆襲するんだろ。楽しみだなぁ。


「ラ・ラ・ランド」公式サイト


※ 上のように書いてましたがあのハイウェイのシーンを含めほとんどCGはないんだそうで仰天しながら訂正させていただきます。
posted by hiro fujimoto at 13:46| Comment(0) | 映画

2017年02月26日

映画レビュー 「王様のためのホログラム」 トム・ティクヴァ監督

王様のためのホログラム
「アラブの王様に3Dホログラムシステムを売りに行く話」というだと思って観に行ったのだが違うのである。いや確かに主人公は,「アラブの王様に3Dホログラムシステムを売りに行く」のだけど,この映画はそういう映画ではないのだ。なんてったら通じるかなぁこの微妙なズレ。

主人公のアラン・クレイ(トム・ハンクス),かつては米国有数の自転車メーカーの重役だった。が,株主からのコスト削減要求に堪え切れず,生産拠点を中国に移したのが大失敗。中国の提携先はアランの会社の技術やノウハウを見事にパクって廉価な競合製品を発売。

アランはクビになり,妻にも見限られて離婚。どうにかツテを頼ってボストンの新興IT企業に営業担当重役として潜り込み,与えられた最初の仕事がサウジアラビアの王様に自社開発の3Dホログラム会議システムを売り込むこと。彼に同情的な娘キット(トレイシー・フェアウエイ)とのビデオチャットを楽しみに,勇躍砂漠の国に降り立ったアラン。

ところが初日,現場へ向かう送迎バスに乗り遅れ,呼んだタクシーの運転手ユセフ(アレクサンダー・ブラック)は妙に馴れ馴れしい。やっと着いてみれば先乗りスタッフ達が作業しているのはオフィスとは名ばかりのテント。WiFiが繋がらない,ランチを食べるところもない…。

なんとかしようと王室側の担当者を訪ねるが受付の女性は「今日は不在,明日は来ます」とだけ(それが毎日!)。担当者にさえ逢えないのに,売り込み相手の国王に謁見できるのはいつのことか。混乱とプレッシャーの中,遂にアランは倒れてしまい,病院へ。そこで出会ったのがこの国では希有と言っていい女性医師ザーラ(サリタ・チョウドリー)だった…。

ビジネス・アドベンチャーかと思えばさにあらず(自分で書いてて思うが「ビジネス・アドベンチャー」ってつくづく怪しい言葉だな),カルチャーギャップが主題なのかと思えばそれもエッセンスのひとつに過ぎない。最後まで観るとこれつまり「文化の違うを超えて普遍的な愛と救済の物語」なんである。



「王様のためのホログラム」 オフィシャルサイト
posted by hiro fujimoto at 09:35| Comment(0) | 映画