2016年08月08日

映画レビュー 「リミッツ・オブ・コントロール」 ジム・ジャームッシュ監督

リミット・オブ・コントロール
ジム・ジャームッシュ監督2010年公開作品。

前作「ブロークン・フラワーズ」で,オレが勝手に「体言止め映画」と名付けた独特のテイスト,そっすね「ジャームッシュ節」とでもいうべきモノを完成させた感のあるジャームッシュ,次はどうするのかと思っていたらなおその路線に磨きをかけてきた。この作品はもはや「映画として撮られた俳句」の域に達してますな。

あってないような(いや,見方によっては厳然と「ある」んだけどさ)ストーリーはこうだ。「自分こそ偉大だと思う男を墓場に送れ」という任務を帯びてスペインに現れた"孤独な男"(イザック・ド・バンコレ)。カフェでは必ずエスプレッソを2つ別々のカップで注文し,携帯も銃も仕事中のセックスも禁止,という矜持を頑なに守る彼に近づくのは,"ヴァイオリン"(ルイス・トサル),"ヌード"(バス・デ・ラ・ウエルタ),"ブロンド"(ティルダ・スウィントン),"分子"(工藤夕貴),"ギター"(ジョン・ハート)ら,いずれもコードネームで呼ばれる「仲間」たち。

彼らから受け取る情報によって,標的のいる街に到着し,"メキシコ人"(ガエル・ガルシア・ベルナル)の紹介する"ドライバー"(ヒアム・アッバス)の運転するクルマで標的である"アメリカ人"(ビル・マーレイ)が立てこもる要塞のような建物を見下ろす場所に立つ。彼の問題は「いかにして警備の目をかいくぐり標的を殺して脱出するか」……。

でも,「映画の問題」はそこにはない。この映画は不可能に見えるミッションを可能にする"孤独な男"の作戦を絵解きするためのものではないし,連絡員の中に潜んでいたらしい「スパイ」の正体を明らかにして観客に「そうだったのか」と思わせるためのものでもないのだ。「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句を目にして我々それそれ脳裏にそれぞれ古池が,蛙が,そして音が形作られるように,この映画はそのシーンのあれこれ,台詞のひとつひとつを自分の心に投影して撫で回すためのものなのである。

ちなみにオレは「映画っていうのは見なかった夢のようなものよ」という"ブロンド"の台詞と,登場シーンのすべてで,ほとんど服を着ていないかあるいはまったく服を着ていない,"ヌード"の甘ったれた話し方がとっても好きである。

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posted by hiro fujimoto at 08:19| Comment(0) | 映画

2016年08月07日のつぶやき








posted by hiro fujimoto at 00:01| Comment(0) | 日記