2016年08月05日

映画レビュー 「ジョン・レノン,ニューヨーク」 マイケル・エプスタイン監督

ジョン・レノン,ニューヨーク
2011年3月の震災からしばらくの間,初対面のヒトやあれ以降初めて逢う友人,知人などとの会話には必ずと言っていいほど「あの地震のときどこで何をしていた」って話が混じった。オレの話をすれば,あのときは自転車で西小山まで食材の買い出しに行った帰り。目黒区立月光原小学校の前辺りにさしかかったところで妙にペダルが漕ぎ難くなり,止まって気がつくと頭上の電線が縄跳びのごとく揺れていたって話を何人にしたことか。

3.11 だけぢゃない。阪神・淡路の震災や地下鉄サリン事件,123便の御巣鷹山への墜落事件など,その事件の大きさ故に,その時自分がどこで何をしていたか,どんな状況でその事件のことを知ったかを鮮明に憶えている,というものがあるよね。

で,少なくともオレくらいの年齢の人間にとって,1980年12月8日,ジョン・レノンの死っていうのは間違いなくそうした事件の一つに数えられると思うのだ。当時大学生だったオレは松本市北深志安原町バス停前にあった山猫軒という喫茶店でコーヒーを飲んでいた。そこに市内のレコード店に務めていた女の子がやってきて「ねぇねぇタイヘン,ジョン・レノンが撃たれたんだって!」と言ったのだ。

あれから36年の間に,ジョン,あるいはビートルズを題材にした映画やTVプログラムがどんだけ作られたろう。その全部を観たわけぢゃ…多分ないが,でもかなりの部分を観てるはずのワタシは,この映画でもまた,既に知ってることを映像で再確認させられるんだろうなと思っていた。あ,いや,けしてそれが嫌なわけぢゃないんだ,ちょい悲しいことは事実だけどね。

でもそれは違った。いい意味で裏切られた。ヨーコ・オノが全面協力したというこのフィルムは,今までとは全然違った切り口で,71年2月の移住から80年12月の死まで,70年代とほぼ重なる期間なのだが,におけるニューヨークとジョン・レノン,あるいはアメリカ合衆国とジョン・レノンの愛憎入り交じる濃密な関係を見せてくれる。

移住直後のヴィレッジ,エレファンツ・メモリーとのコンサート,ニクソン政権による国外退去命令,そのニクソンが72年の大統領選挙に勝った夜にジョンが取ったある行動によってヨーコは別居を宣言,ジョンはヨーコの秘書だったメイ・パンを伴ってロスアンジェルスに移住する。いわゆる「失われた週末」だが,この期間のジョンをポールが…もちろんポール・アンカぢゃない,マッカートニーだよ,が訪ねてきてたなんて知らなかったなぁ。

フィル・スペクターと組んだ「ロックン・ロール」のセッション,ハリー・ニルソンらとの馬鹿騒ぎ。アルコールの海から立ち上がっての「心の壁,愛の橋」のレコーディング。エルトン・ジョンのMSGコンサートにゲスト出演した晩のヨーコとの再会(ここ,泣ける)。ショーンの誕生,育児,そして生前最後の作品となった「ダブル・ファンタジー」の制作。

もし,もしあの事件がなかったら,81年の1月には同時にレコーディングした「ミルク・アンド・ハニー」(3年後に実際にリリースされたものと同じ構成になったかどうかはわからない)を発表し,その後ワールドツアーに出る予定だったという。うーん,そうだったのか。日本公演も予定されていたんだろうか。

うう。なんか,いてもたってもいられないような気持ちになりませんか。

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posted by hiro fujimoto at 18:43| Comment(0) | 映画

2016年08月04日のつぶやき












posted by hiro fujimoto at 00:01| Comment(0) | 日記