2016年06月30日

ブックレビュー 「なぜ科学を語ってすれ違うのか-ソーカル事件を超えて」 ジェームズ・ロバート・ブラウン著

なぜ科学を語ってすれ違うのか
えっと…この本について語るにはまず書名にもある「ソーカル事件」についてご承知いただかなければならない。

ことの発端は1994年にニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル博士が人文学系の評論雑誌「ソーシャル・テキスト」に,「境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて」つう論文を寄稿したこと。この論文は「時代の先端をイク学術論文」てなノリで掲載され好意的な批評も数多く集めた。

ところがである。これなんと,この雑誌の専門分野であるポストモダン系社会哲学のテクニカルタームと自分の専門である物理学系の用語を羅列してデタラメに結びつけた「なんちゃって論文」だったのだ。

タネを明かせばこのソーカル博士,当時大人気だったポストモダン系哲学者,例えばドゥルーズとかガタリ,あるいはラカンなどが彼らの論文に,その分野の専門家である自分にとってもまったく意味不明な文脈で物理学の用語を引用していることをかねてからニガニガしく思っておった。

こいつら単に自分たちの書くものを「いかにも難解であるかのような装飾」するのに物理学用語を使ってるだけやんけ。その使い方をみても「使っている物理学用語の意味や概念について何一つ理解していないし勉強しようとすらしていない」。もう頭ににきた,オレが一発論文を書いてそのことを証明してやる…と。で,ポストモダン業界はまんまとそのトラバサミ論文に挟まっちゃったわけですお立ち会い。


その後,槍玉に挙げられたポストモダン系の思想家たちがどんな反論をしたとか日本にはどんな風に波及したかとか,まぁ面白い話はいろいろあるんだけど,この本のテーマはそっちにはない。著者ブラウンは,この事件を契機にして浮上した,自明に見えて突き詰めるとなんとも曖昧模糊モコとしている「科学」というものの拠って立つ基盤,基礎についての問題を丹念に追いかけてみようと考えたわけ。

その論考の範囲は実在論と社会構築主義の対立を軸にして多岐を極め,それなりにやっぱり難解だがなかにはオレたちでもクチを挟めそうなものもある。例えば「科学は価値にとらわれないのか」という問題。なにを言ってる科学は科学だ,価値なんかにとらわれて結論が曲るわけないぢゃないか? あなた,日本最高レベルの原子力研究者たちがみんな絶対安全カミソリだと言ってたフクシマの現状を見たうえでそうおっしゃってるんですか?

最後にちと個人的な話。このソーカル事件に先立つ13年ほど前,オレは人文学部の学生でまさにあの事件で標的とされたトコロのポストモダン系の哲学者・社会学者の著作を勉強してた(流行ってたんだよ)。で,ソーカルの言う「いい加減に,理解せずに使われている物理学の用語」とかにぶつかり,まさか書いてる本人もよくわかってないで使ってるなんて思わないからその意味を知りたくて量子物理学とかの本を読み始めた。

高校で物理Uを選択してない(いや,理科のUはなにひとつ選択してないけどさ)オレにはこれがとっても新鮮でね,完全に興味がそっちに移ってしまい,別にポストモダン思想家の衒学的ペテンを見抜いたわけではないものの,ポストモダンなんてどーでもええやんと思った。今回この本を読んであらためてワタシ,当時のフジモトはなかなか見どころのある青年だったぢゃないかと思いましたね,ちょっとエヘン。

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2016年06月29日のつぶやき






















posted by hiro fujimoto at 00:01| Comment(0) | 日記

2016年06月29日

映画レビュー 「10 クローバーフィールド・レーン」 ダン・トラクテンバーグ監督

10クローバーフィールド・レーン
2008年に公開され,一部(極く一部)で熱狂的に支持された怪獣パニック映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」の続編…なんだが,ストーリーもなんにも繋がってない。関係があるのは題名とプロデューサー(J・J・エイブラムス)と,あと怪獣が出ることくらい(同じ種類には見えないが)。

ルイジアナ州ニューオーリンズ。どういう事情だか知らないが恋人ベンの元を去ったらしいミシェル(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)は夜の道をひた走る。ベンからの電話に気をとられたその刹那,なにかに衝突してクルマは横転,路肩から荒れ地に転がり落ち,彼女は意識を失った。

目を覚ましたところはどこかの地下室。腕には点滴の針,ひどい怪我を追った右足には手当てが施され…鎖で壁に繋がれている。銃をぶら下げて部屋に入ってきた老人はハワード(ジョン・グッドマン)と名乗り,ここから出して欲しいというミシェルの懇願に「敵の攻撃を受けたんだ。外の空気は汚染されて出られない」と。

ハワードはミシェルに松葉杖を渡し,自分で作ったというこの地下シェルターを案内する。同居人はもう一人,そのエメットという若者(ジョン・ギャラガー・Jr)は,自分はこのシェルターを作ったとき手伝ったので「攻撃」が始まったとき逃げてきて無理やり入れてもらったのだ,と言う。が,当然ながらミシェルには自分を閉じこめておくための作り話としか思えない。

やがて足の傷も癒え歩けるようになったミシェルは,隙を伺ってハワードの持つ鍵束を盗む。階段を上り二重扉のひとつを開け,エアロック状になっているもう一方の扉を開けようとしたその時,分厚いガラスの向うに現れたのは,顔の皮膚が醜く爛れた女の顔。ガラスを叩き「入れてちょうだい! ガスはほんの少ししか浴びていない。ホントウよ!」と悲鳴を。

ハワード達の言葉は真実だった。「敵」の恐怖を共有したミッシェルはシェルターでの生活に順応。ハワードも別れた妻と共にシカゴに行ってしまった娘ミーガンの思い出などを語るようになり,しばらくは平穏な日々が続く。が,ある日故障した空調を直すためにダクトを通って空調機のある小部屋に行ったミシェルは,そこで窓に刻まれた「HELP」の文字と,写真のミーガンが着けていた血染めのイヤリングを発見する。

地下に戻ったミシェルがエメットにそのことを告げミーガンの写真を見せると,エメットはその少女はミーガンぢゃない,数年前に付近で行方不明になった彼の妹のクラスメートだと言いだす。やはりここにはいられない。シェルターの外へ脱出するべく,二人はハワードに隠れて即席の防護服とガスマスクを作り始めるのだが…。

せまい空間ゆえの接近したカメラと少ない登場人物による濃密な芝居に否が応でも緊張感が高まり,こっちまでだんだん息苦しくなるほど。特に最後まで得体の知れない男ハワードを演じるジョン・グッドマンは見事…ちうかホントに怖い。え? 怪獣はどうしたって? あ,いや,怪獣も出るんだけど,そのシーンに言及するとハワードとエメットとミシェルの関係がどうなるのかネタバらししないといけないので…ご容赦を!

「10 クローバーフィールド・レーン」公式サイト

posted by hiro fujimoto at 06:10| Comment(0) | 映画