2016年05月28日

ブックレビュー 「日本書紀の謎と聖徳太子」 大山誠一編

聖徳太子
同じ編者の「聖徳太子の真実」が2003年。子供のころから「学習漫画 日本の歴史」だの1万円札だので馴染みの深かった…正確に言えば1万円札とはあんまり深くなかったけど,聖徳太子という日本史上の偉人がホントは実在せず,飛鳥時代の実質的な「王家」であった蘇我氏からクーデターで政権を奪った人々が自分たちの王権の正統性を担保するべくでっち上げた架空の人物である,という結論には仰天させられた。

しかもそれがよくある(よくありますよね)トンデモ本,たとえば著者は霊界の言葉が聞けるんです,これは著者に蘇我氏の霊が憑依して語った真実なんですとか,そういう類いの眉唾な話ではなくて,太子の業績を記した書物「日本書紀」と同時期の中国の史書である「隋書」とを読み比べ,そこに記された「伝説」の原典を明らかにし,またその記述の意図を我々にも納得できる政治力学をもって推し量るという説得力に溢れたもんだったのだ。ワタシはあれですっかり「聖徳太子はいなかった派」になりましたね。

それから8年を経て,さらに研究を進めた「いなかった派」の人たちの仕事の集大成がこの本である。もちろんその間「いた派」の人たちが何もしなかったわけではなく,それなりに抵抗はしているのだが,編者・大山先生に言わせれば「学問的反論は皆無である」ということで,つまりはなんか端の方に「ばかやろう,聖徳太子がいなかったなんて,そ,そんなことあるもんか。だっておれシライシ先生にならったもん」とか言ってるヒトが残っている,くらいのもんであるらしい(シライシ先生はオレの小学1年生のときの担任の名前)。

実際,この本で展開されている「日本書紀」への多角的なアプローチ,例えば日本書紀の文章を音韻論から分析してその成立時期に疑義を提示するとか,聖徳太子一族の滅亡(息子の山背大兄皇子が蘇我入鹿に攻め滅ぼされる)のくだりの物語が仏教説話「六度集経」のパクリ,すなわちフィクションであることを指摘するとか,あるいは聖徳太子の創建であるという四天王寺の伝承を出土瓦という考古学的証拠から否定する,という研究はその一撃一撃が「いた派」のミゾオチにズシンと響くボディブロウのように思える。

もちろん「いた派」のヒトの見解を聞けば全く逆のことをおっしゃるに決まっているわけだが,平成20年から文部省の指導要領からも「聖徳太子」と「大化の改新」の文言が消えた(知らなかったでしょ?)と聞けば,冥王星が惑星でなくなったのと同じく,聖徳太子もいなかったということで決着しちゃいそうである。うーん,さっきオレ「オレはすっかりいなかった派」と書きましたがそうはっきり決まっちゃうとなるとそれはそれであんまり面白くないような気がするんだけどもね天の邪鬼。

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2016年05月27日のつぶやき










posted by hiro fujimoto at 00:01| Comment(0) | 日記