2016年05月18日

映画レビュー 「BOX 袴田事件 命とは」 高橋伴明監督

BOX
2014年3月27日,再審で死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審を命じる判決が下った「袴田事件」を題材にした2010年公開の映画。

知らないヒトのために解説すると「袴田事件」というのは,1966年6月30日未明,静岡県清水市(当時)で味噌製造工場の従業員で元プロボクサーが専務宅を襲って家族4人を殺害,家に放火したとされたもの。被告・袴田巌は当初から犯行を否認するも,警察は拘留期間をフルに使って彼を攻め立てて「自白」を引き出して起訴に持ち込んだ。

しかし物的証拠は皆無に等しく,自白調書は動機でさえ一貫しないお粗末きわまりないもの。一審に当たった静岡地裁の裁判官3人の一人熊本典道は自白の任意性に疑問を持ち冤罪の可能性を訴えるが,同僚2人は多数決を持ち出して有罪とし,主任裁判官である熊本に死刑判決を書かせる。

死刑判決の直後熊本は退官,大学で教鞭をとりながら独自に証拠を検証。事件から1年以上経って「発見」された犯行時の衣類が当局の主張通り「味噌樽に1年以上漬かっていたものではありえない」ことや,凶器とされた刃物では刃毀れ無しに人間を40数ヶ所も刺すことなど不可能であることなどを調べ上げて匿名で弁護士に協力。

が,控訴審・上告審と死刑判決は覆らず,再審請求も棄却され,悩み抜いた熊本は2007年,遂に裁判官としての守秘義務「評議の秘密」を破り,一審当時の自分の心証や多数決で有罪を決めたことを公表する。

監督・高橋伴明によれば,この2007年の熊本の告白からこの映画は始まったそうな。その熊本役に萩原聖人,袴田被告・死刑囚は「松ケ根乱射事件」の新井浩文。熊本以外の裁判官2人に村野武範,保阪尚希,捜査に当たった(そして自白を強要し,証拠をでっちあげた)警察官たちに石橋凌,ダンカンなど。舞台挨拶で監督は横に並ぶ萩原,新井の両者の出演を「勇気が要ったはず」と言っていたが,最も勇気が必要だったのは石橋凌ぢゃねぇかなぁ。

脚本を読んだ時の第一印象を訊かれた新井の一言「重い」の言葉通り,とてつもなく重い映画だが,こういうもんを撮らせたら紛れもなく高橋伴明が日本一であると再確認も出来た。「TATOO〈刺青〉あり」の戦慄を思い出しましたわ。

「BOX 袴田事件 命とは」をAmazonで探す
posted by hiro fujimoto at 23:32| Comment(0) | 映画

ブックレビュー 「読んでいない本について堂々と語る方法」 ピエール・バイヤール著

読んでいない本について堂々と語る方法
いやはやこれまたなんとも書評のしづらい本である。だってそうでしょ? 著者バイヤールはパリ第八大学の教授にして精神分析家なのだが,この本はそういう,なんつうか大学教授という立場にある者として「当然読んでいると思われている」ところの他人の研究論文だの著名な文学作品だのについて,読まずにコメントをするということを正当化…というより推奨するという内容なわけで,その本を読まずに書評するならともかく,ちゃんと読んだと言って書評するなんて,まるでちゃんと読んでないみたいではないか(そろそろなにがなんだかわかんなくなってきたでしょ?)。

バイヤール先生はまず「未読」というものを段階分けする。最初はもちろん「ぜんぜん読んだことのない本」について。ここで先生はムジールの「特性のない男」という小説(自慢ぢゃないがオレはこんな本読んだことも聞いたこともなかった)の登場人物である図書館の男の「有能な司書になる秘訣は,自分が管理する文献について,書名と目次以外は決して読まないこと」という方針を例に引き,この世の書物全部を読むということが不可能なのだから,1冊でも読んでしまうことは「書物の全体像」を把握するという目標にとって「偏向」に過ぎないと説く。

次の段階は「ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本」で,ここにはヴァレリーが登場する(念のために付記するとオレはこのヒトの名前は知っているが当然1冊も読んだことはない)。このヒトはどうも「他人の本を読まないこと」を生涯の目標としていたらしく,彼がいかにその著作を読まずしてプルースト(有名な「失われた時を求めて」の作者。もちろんオレは読んでない)を評価し,またコレージュ・ド・フランス(フランスの国立高等教育機関)における彼の前任者であったアナトール・フランス(このヒトも読んだことない…かな?)へ賛辞を捧げるのを周到に回避したかを指摘する。

第三の段階は……もういいよね。とにかく結論として,本を読まなくてもその本について語ることは可能なのであり,多くの立派なヒトがそうしているのであり,逆にちゃんと本を読んでその本を語るなんてのは自らの主体性を失うマトモな人間なら絶対に避けるべき行為なのである。そういうわけなので,オレは一応この本を読んでこれを書いているが,この文章には多分にオレの創作が入っているのであり,またそれこそがバイヤール先生の望むところであるはず…かどうかはどうでもいいのである。いやぁまったくもってフランス人ってヤツは厄介な連中でありますなぁ。

「読んでいない本について堂々と語る方法」をAmazonで探す
posted by hiro fujimoto at 08:47| Comment(0) |

2016年05月17日のつぶやき








posted by hiro fujimoto at 00:01| Comment(0) | 日記