2016年05月12日

映画レビュー 「マシンガン・プリーチャー」 マーク・フォスター監督

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箸にも棒にも掛からないシャブ中バイカーの前科者。ヤクでラリったあげくに危なく人を殺しかけて改心した。近所の教会で洗礼を受けてキチンと職につき,数年後には建設業者として独り立ちする。事業は軌道に乗り,妻と娘とともにトレーラーハウスを脱出,一軒家を購入して間もなく通っている教会にウガンダから牧師がやってきた。

彼からの現地の惨状を聞き,建設関係のボランティアを志願して現地を訪れた彼を待っていたのは内戦の中で親を殺され拉致されていく子供たちだった。さっきまで目の前で遊んでいた少年が地雷を踏んで下半身を吹き飛ばされたとき,彼はその亡骸を抱き上げて誓う。この子らを救いたい!

帰国した彼はまず地元の治安の悪い地区に教会を設立,麻薬中毒者や娼婦たちに更生のチャンスを与えるとともに,返す刀でスーダンに孤児院を建設する計画を立てる。しかし建築現場は夜襲に遭い,200人を超える孤児たちの食費に頭を抱える…。

この「彼」がこの映画の主人公サム・チルダース(ジェラルド・バトラー)なわけなんだが,どう思われます? そんな元シャブ中いるわけない? そう思うよね。オレも昔雀荘でバイトしてたころ少なからぬ数のシャブ中を見たが(ホントです)クスリをやめてカタギの生活に戻れれは上々,改心してボランティアに参加したなんて聞いたこともない。

でも実はこのシナリオ絵空事ではなく,主人公サム・チルダースは実在し,しかもまだアフリカで子供らを守っているのである(もうマシンガン持って歩き回る必要はなくなったらしいが)。いるところにはいるんですよ,そういうヒトが。

この映画はTVでサムの活動を知ったプロデューサー,デボラ・ギアラティナがペンシルバニアにあるサムの教会(サムがアフリカにいるので実質的には彼の妻が運営している)を訪ねたことから始まった。前半,サムが信仰に目覚める辺りこそ(オレがブディストだから?)ちと抹香臭いなと思うものの,物語の舞台がアフリカに移ってからはただただ圧倒されるばかり。

ラスト,戦いのなかで次第に余裕を失っていくサムに,生き延びるため実の母親を殺した少年(そうしなければお前と弟を殺すと言われた。武器を振り上げた彼に母親は泣きながら頷いていた)がこういう。「あいつらにいくらひどいことをされても,憎しみで心を満たしてしまったらあいつらの勝ちだ」。マーク・フォスターが言うように,これはアメリカの白人男性がアフリカの子供らを救う物語ではない。アメリカの白人男性がアフリカの子供らに救われる物語なのだ。

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posted by hiro fujimoto at 18:43| Comment(0) | 映画

ブックレビュー 「銅像受難の近代」 平瀬礼太著

銅像受難
この本の存在を知ったのは忘れもしない(ってほどのもんでもないが)2011年3月,あの震災のたった5日前,MOSA有志による「春の暴走(房総)ツアー」で千葉県銚子市のグランドホテル磯屋(震災被害から立ち直れず廃業したそうです。残念です)に一泊した翌朝のこと。ウチで購読してない讀売だか朝日だかの読書欄で読んだのだ。

いやなに,別にオレ,それほど銅像に興味があるわけではない。銅像と言われてすぐ思いつくのは渋谷のハチ公と上野の西郷さんくらい。それから皇居の前のあそこに馬に乗った誰だかの像があったなぁ(この本で知った,楠木正成である)とか,確か早稲田の大隈講堂のとこには大隈重信のがあるんぢゃなかったっけ,とそのくらいである。

そんな銅像オンチ(オンチてのもヒドイか)のオレがナニユエこんな本を手に取る気になったかと言うと,その讀売だか朝日だかの記事の冒頭に確か「渋谷のハチ公,現在のヤツは実は二代目で戦前に作られた最初の像は戦時中,金属回収の対象になって機関車だか大砲だかにされちゃった」と書いてあったから。なにそれ,ハチ公も我が爺さんの寺の梵鐘と同じ憂き目を見ていたのか,と,にわかに興味が沸き起こったのである。

説明せねばなるまい(要らない? まぁ読みなさい)。ガキのころ…12歳くらいまでかな,オレは故あって祖父が住職を務める浄土真宗の寺で育ったのだが,実はこの寺にはあの寺の名物…というかシンボル…というか,♪やぁまのおてらの鐘が鳴るぅ,の,あの鐘が無かった。最初から無かったわけではない。ちゃんとそれがぶら下がってた鐘楼(ウチでは「鐘つき堂」と呼んでた)はある。無いのは鐘だけ。で,その理由というのが「戦争中の金属供出で持っていかれたから」だったのね。

詳しいことはつまびらかでないが,持っていかれたものの溶かしてどうこうということになる前に終戦になり,それなら戻されるのが当然であるにも関わらず戦後のぐちゃぐちゃで…まぁ想像するにどっかに物資として横流しされちゃったんだろ。で,若き住職だったウチの爺さんはその当局のええかげんさに立腹,新たな梵鐘を求めることはせず,ついでに鐘の真下の穴(なんと呼ぶのか知らぬ,音を反響させるために鐘楼には穴が穿ってあるのだ)も「子供が落ちたら危ないから」ってんでコンクリートで埋めちまい,オレがガキのころの昭和30年代にはすっかり「鐘つき堂」という名前の遊び場と化していた。

そんな田舎の寺の梵鐘に起きたのと同じことがあのハチ公にも起きていたのか,とその興味から読み始めたのだが,これがめっぽう面白い。いや古い新聞記事や官報,美術雑誌の抜粋などもちりばめられていて若干読み辛いってトコもあるのだが,銅像をめぐるおもしろかなしいエピソードの数々はそれを丹念に読み解いて(あるいはえいやっと読み飛ばして)おつりが来るほどである。

神戸湊川神社にあった伊藤博文(昔の千円札のヒトだ)の銅像がソ連崩壊時のスターリンさながらに引き倒されて引きずり回された事件の顛末,上野の西郷さんが着流しである理由,日本中の学校に薪を背負った二宮金次郎像が流行した事情など,よく調べましたねと頭を下げながらクチビルの端に笑いが浮かぶのを禁じ得ません。

戦後GHQがやって来たとき,国を上げてあれほど崇め持て囃していた忠君,軍神,大将軍の類の銅像を率先して撤去して回ったという民衆の節操のなさ…いや,フットワークの軽さ。エピローグに記された京都大学・折田先生像を巡るなんともアヴァンギャルドかつオフビートな騒動などなど。

日本における銅像というものが,そもそもの最初から「西洋ぢゃこういうもんを作って偉いヒトの事跡を後世に残すらしいのでひとつ我が国も真似しよう」という猿真似精神の結晶であり,つまりは所謂ネタであったことを証明するかのようなあれこれイチイチがオレ,日本人として誇らしいです。

ウチの爺さんも長生きしてこの本を読めば相好を崩して溜飲を下げたであろうに。そんなことないか。

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posted by hiro fujimoto at 08:43| Comment(0) |

2016年05月11日のつぶやき












posted by hiro fujimoto at 00:01| Comment(0) | 日記