2016年05月27日

2016年05月26日のつぶやき








posted by hiro fujimoto at 00:01| Comment(0) | 日記

2016年05月26日

ブックレビュー 「聖徳太子の真実」 大山誠一編

聖徳太子の真実
どんな本か,ヒトクチで言ってしまえば「聖徳太子つうのは『日本書紀』の作者たちがでっちあげた架空の人物である」ということを,それ派(もちろんそうぢゃない派というのもいるのだ)の研究者たちが多角的に証明し,ついでにほんぢゃなんで彼らはそんなもの(ってこたぁないか)をでっちあげる必要があったのか,とか,彼らのでっちあげが後世なんでこのように世の常識となるまで流布してしまったのかということを論じた,論文集であります。

著者が一人ではないし,研究対象やその方法論もさまざまなので,読みやすいもの読みにくいもの,面白いものチンプンカンプンなものいろいろなんだが(玉石混淆とは書けない。こっちが玉だとわかんないだけかもしれないから),とにかくコトはオレがガキの頃にはお札にも顔が描かれていたあの聖徳太子の話である。

そりゃ母親が仏が身体に入る夢を見たとか,馬小屋の前で生まれただとか,そういう話はマユツバだと思っていた(だってまんまキリストやんけ)ものの,架空の人物とは思わなんだよ。それがこの本を読み進むうち,なるほどこれは怪しいではないか,やややあれはそういうことか,えっあの話が文献資料に現れるのはそんな時代になってからなの,いやぁこれはもう絶対に聖徳太子なんていなかったに違いない,違いありませんよ奥さん(奥さんって誰だ)となっちゃった。

詳しい議論についてはここにかいつまむ能力がオレにないので原書にあたっていただきたい。それは面倒くさいというヒトのために無理矢理概括すれば,いわゆる「天皇家」の王権は実に西暦672年の壬申の乱で確立したのであり,古事記,日本書紀に観られるそれ以前の権力・皇統は現政権,つまりあの戦争の勝ち組が自分たちの権威を裏付けるために創作したフィクションである,というのが著者らの見解なのである。

そのため,6世紀後半のニッポンにおいて,おそらく実際には「大王」の地位にあったであろう蘇我馬子の業績(仏教保護など)を仮託する「皇家の人物」の必要性が生まれた。日本書紀の作成者たちはその役を傍系の皇子であった厩戸に割り振り,その周囲に伝説を巡らせて行ったのだ,と。やがてその伝説はあることないことさまざまな尾ひれをまとい,ついには「観音様の生まれ変わりだった」てなことにまで発展する。けしてトンデモ本ではない。歴史はいつも勝者によって記されるもんだからね。

というわけで,手塚治虫「火の鳥・ヤマト編」はやっぱりなかなかイイ線をツいていたのはなかろうか。

「聖徳太子の真実」をAmazonで検索

posted by hiro fujimoto at 19:52| Comment(0) |

2016年05月25日のつぶやき












posted by hiro fujimoto at 00:01| Comment(0) | 日記